水分補給と笑うダチョウ

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800字紹介「偽史山人伝」「有害無罪玩具」

「静かな痛みが微かに残る」

時計を眺めたとき、1秒が思ったより長かったり。逆に短かったり。時間が妙に不確かに感じたことはないだろうか。世界全て、時間というものを指針にしながら進んでいる。それは時計で確かめながら、自分というものを認識して確立しているからだ。そんな認識についての冷たい漫画、それが詩野うら作の「偽史山人伝」と「有害無罪玩具」の2冊だ。Webサイト「チラシのウラ漫画」で連載されていた短編漫画と、描き下ろしを収録した2冊。どこか冷めた目線で八百万の神を現代的に解釈した「現代路上神話」。心もなく、知能もない不死身の存在「金魚の人魚」を中心に、悠久の時とその一瞬に生きる人間を描く「金魚の人魚は人魚の金魚」。など多くの短編が収録されている。そんな2冊に描かれているのは冷たい空気を持ったSF(少し不思議)な物語たちである。全ての物語はまるで通り過ぎる景色ように、明確なエンディングを迎えることがない。ただ、漫画を読み終わったとき、これ以上の続きはないのだろうと思わさせられる。登場するキャラクター全員、身の回りに起きる不思議な出来事に、どこか身を入れていない。基本的に物語はその冷めた目線を通して描かれる。登場人物そのものが確固とした「自分」をもっておらず、自分自身のことですら、第三者目線のように語る。そんな、どこか空虚なキャラクターだからこそ、彼らが問いかける「認識」についての物語は風が吹くように、まるで自然現象について語っているようだ。そうして、心に入り込んできた彼らの物語と、そこに読むことができる何かは、水溜りに映った自分を見たとき、ジクリとした静かな痛みとともに思い返される。漫画自体、強く語りかけてくるような漫画ではない。他人の写真アルバムを読んでいる時のような、どこか疎外感のようなものを読者に与えながら、コマ割りの内側にいるような感覚にもさせられる。食い入るように読む漫画ではない。人気作として本棚を飾るような漫画でもない。しかし一度読めばその魅力に取り憑かれ、本棚の隅にずっと置いておきたく2冊である。